『ノイズ・イン・ザ・ゲーム』

 どうも最近、カジノの金の動きがおかしい──最初にそう言い出したのは八戒だった。じわじわと、確実にカジノ側の売上が減っている。だが、イカサマの確証が取れないと、桃源ファミリーの組員から報告が上がったという。

「すみませんが、調査をお願いできますか? 今日、マークしている人物が来るとの情報があるのですが……生憎、僕はお得意様との食事会がありまして」

 桃源ファミリーは表向きには高級茶楼チェーンを展開する実業家集団で、八戒はその店主という肩書きを持つ。情報収集において八戒の右に出る者はいない。そして、イカサマへの対応なら悟浄の独壇場だ。
 悟浄が快く引き受けようとした、その時──

「俺も行く」

 三蔵が静かに言った。

「……え?」
「なんだ」
「い、いや別に……」

 ファミリーのボスである三蔵の言葉は絶対だ。そして、こういう時の三蔵はまず引かない。付き合いの長い悟浄には、それがよくわかっていた。


 こうして始まった潜入捜査。顔の知れた悟浄よりも、普段は表に出てこない三蔵の方が相手を油断させやすい。三蔵はプレイヤーとしてテーブルに座り、悟浄は別の客を装って同席した。
 カジノのざわめきの中、三蔵は静かに椅子に腰を下ろす。卓を囲むのは悟浄と数人の男たち。八戒の情報によれば、この中に小型カメラを使ったイカサマ師が紛れているという。
 最初の数戦は、表向きは何の変哲もない勝負だった。三蔵は淡々とカードを受け取り、場の空気を読む。ふと、対面の男がカードを取る手元をわずかに隠す仕草をした。あまりに自然すぎて、一瞬では気づかない。だが、悟浄の鋭い眼差しがそれを捉えていた。

(あの手つき……)

 悟浄は小さく三蔵に目配せを送る。三蔵は微かに口角を上げ、カードをめくった。
 さらに数戦後、男が勝負所で眼鏡をしきりに触れていることに悟浄は気づく。あまりに自然な動きで、油断すれば見逃すレベルだ。
 だが、焦ってはならない。相手に「まだバレていない」と思い込ませることが先決だった。三蔵はやや負け、悟浄は少し勝ち、そしてイカサマ師は「ほどほど」に勝つ。狙い通りの流れで、最初のテーブルを離れた。


「たまには現場に出た方がいーんでない?」
「煩ぇ、調子に乗るな」
「ボスはせっかちすぎなんだよ、ン」

 時間差で入ったVIPルーム。報告と作戦確認のため用意させた部屋で、赤革のソファの上では三蔵が悟浄にのしかかり、キスを落としていた。黒手袋の手が悟浄の髪を耳に流し、指の背でそっと頬を撫でる。

「ん、っ、さ、ぞ……」
「さっさと終わらせて、帰るぞ」
「……こンの、負けず嫌いが」

 悟浄は唇を拭い、乱れた息を整える。三蔵は「先に出る」とだけ言い残し、部屋を出ていった。

(……もうあのイカサマ師も特定済みだし、このままここで抜いてても……)

 一瞬そんな考えが頭をよぎるが、後が怖い。悟浄はテーブルの上のウイスキーをあおって気持ちを切り替えてから部屋を出たのだった。


 次の卓。今度は三蔵一人がプレイヤーとして席についた。悟浄は近くの客に紛れ、すぐに動ける位置に待機していた。
 対面に座るのは、先ほど「ほどほど」に勝っていたあの男。

「お初にお目にかかりますな。お手柔らかに」

 男が飄々と笑う。だが、その指はまた、眼鏡を軽く押し上げていた。
 ──ピンホールカメラ。どこかに仕込まれたそれから送られる映像は、眼鏡に仕込まれた極小イヤホンを通じて目の前の男に届く。つまり、三蔵のカードはリアルタイムで相手に知られている。
 ゲームが始まった。ブラックジャックだ。
 一ラウンド目、三蔵はわざとバースト。二ラウンド目も、タイミングをずらしてヒットしあえて負ける。わざとらしさを感じさせない敗北だ。
 その間、三蔵の視線は男を正確に捉えていた。眼鏡に触れる頻度、カードに対する目線の動き、瞳孔の開き方──どれも見逃さないように。
 そして三ラウンド目。三蔵は配られたカードに一瞥もくれず、さらりとヒットの手を挙げ、無言でチップを積んだ。男の表情がわずかに揺れる。想定と違う動き、だったのだろう。
 さらに数枚のカードが配られた後、ディーラーが不思議そうに首を傾げる。彼もまた、八戒が手配したスタッフのひとりだった。

「勝負ありです。こちらの勝ちですね」

 三蔵が男を真っ直ぐに見据える。

「随分と耳がいいらしいな」
「……なんのことでしょう」
「そのイヤホン──さっき、俺がカメラに見せたカードは、全てフェイクだ」

 男の瞳が揺れる。その瞬間、悟浄が横から現れ、ポケットから小型の銀の装置を取り出した。

「この送信機で、あんたのイヤホンにごく微弱なノイズを流してた。数字の情報が、ちょっとだけズレる程度のな」
「つまり、てめぇが最後にヒットした“五”ってのは、本当は“テン”だったわけだ。ディーラーのアップカードは“十”なんだよ」
「バースト確定、ってわけ」

 男が椅子を蹴って立ち上がるが、すでに背後には数名のスタッフが立ち塞がっていた。

「……くそっ、どこまで──!」

 三蔵は無言でチップを片付けながら言った。

「最初から全部見えてた。てめぇの“勝ち”は、俺たちの“誘導”だ」

 男が連れて行かれた後、三蔵はディーラーにチップを渡し用は済んだと出口へ向かう。

「共犯者もわかってんだろうな」
「そっちは悟空ちゃんが」
「ならいい。帰るぞ」
「ご褒美、だよな?」
「てめぇは何もしてねーだろ」
「は? 俺が暴いたんだっつの!」
「ンなに言うならくれてやる。逃げるなよ」
「あ、やべ」

 今夜は寝かせてもらえそうにねぇな。
 そう思う悟浄だった。