夜の果てまで

一人の無謀

魔法要素もありますので、だいぶファンタジーです。

 桃源帝国。
 この国はかつて「神々の理想郷」と称されていたが、今やその名は嘘に塗り固められている。
 帝都の広大な聖光宮(聖王宮)から煌めく魔法の塔が天を突き、空に浮かぶ神殿に祈りが捧げられる。


 しかし、その裏には数千の貧しい民が、手に入らない魔力を求め日々の生活を命懸けで支えている。


 悟浄も、その一人だった。

 帝国民の多くは、帝国が何のために存在しているのかを知らない。
 生まれた瞬間から、この国に置き去りにされるようなものだったから。


 外の貧民街――俺が産まれた場所――には魔力すらなかった。
 魔法は支配者のものであり、俺たちはただ、その力のために命を使われるだけ。


 両親が死んだ原因も、誰もが生まれながら保有している魔力が尽きて命を落としたようなものだ。
 母は父の愛人だったらしく、その後、父の正妻だった義母に引き取られ腹違いの兄と共に育てられたが、義母は魔力不足を補う怪しい薬の副作用で徐々に狂っていった。
 兄だけはいつも味方でいてくれたが、最後は狂った義母が愛人との間の子である俺を殺そうとしたところで、兄が俺を守るために義母を殺してしまった。
 そのまま兄は姿をくらまし、一人残された俺は過酷な現実を前に、一つ誓った。

「この腐った帝国を、終わらせてやる……」

 しかし、帝国はただの一度も俺のような者の存在を認めてはくれなかった。
 貧民を圧し、魔法を支配し、王族や貴族にばかり全てを与え、無能な俺たちを犠牲にし続ける。
 支配者共は誰も、俺たちの叫びを聞こうとはしなかった。

 その象徴が、前皇帝、牛魔王である。
 俺は決してヤツを許さない。たとえ、現皇帝に暗殺され代替わりをされたのだとしても。
 そして、その現皇帝も俺にとっては敵である。皇帝が代替わりしたところで、世の中は何も変わりはしなかったからだ。
 初めに牛魔王が暗殺されたと噂が流れた時、貧民街に待遇の改善を期待する声が溢れた。しかしそれも次第に尻すぼみしていった。
 待てど暮らせど、生活が良くなる兆しがなかったのである。
 結局誰が皇帝になろうとも、帝国という悪の根源を断ち切らねば何も変わりはしないのだと思い知ったのだった。

 そもそも、現皇帝も聞くところによれば聖光宮で仕えていた家臣の息子だというではないか。
 どうせ、貴族や支配者たちの後ろ盾を得て成り上がったに過ぎない世間知らずなのだろう。
 知識も魔力も魔法の使い方も、全てを持っているくせに、俺たちのような有象無象には目もくれない。それが俺には悔しくて堪らなかった。

 そしてあの日、帝都の貧民たちが暮らす第五区の隅で俺はヤツを見つけた。
 まるで世界を支配するかのように歩くその姿を見間違えることは無い。

 皇帝が代替わりをしたとき、聖光宮の広場で行われたお披露目式を見に行ったのだ。遠くからしか見えなかったが、煌めく金糸の髪に紫水晶のような鋭い瞳を覚えている。

 俺はその場で覚悟を決めた。


「一矢報いてやる」


 その矢が皇帝の胸に突き刺さる瞬間、俺は何かが劇的に変わると思った。
 信念を持って、全力で、火事場の馬鹿力とやらを発揮して近くにいた衛兵の薙刀を奪い取り全力疾走をしていたはずだった。
 それなのに――――。

「そんなもん持って走ったら、危ねぇよ」

 突然現れた小柄な少年に、片手で薙刀を止められていた。そのまま手を捻られ、ひょいと得物を取り上げられて地に伏され拘束された。

「三蔵、どうする?」

 その少年が、俺の腕を固めて動けないように体重を乗せながら、皇帝を気軽に三蔵と呼び捨てて判断を仰ぐ。
 俺は必死に首を持ち上げ、せめて最後に皇帝のご尊顔を拝んでやろうと抵抗をした。


 てっきり道端のゴミでも見るような、そんな目で見下してくるのだろうと思っていた。だが、その思いとは裏腹に、皇帝の目には確かに哀しみの感情が宿っていたのだった。

「ッんでそんな目ぇしてんだクソ野郎!」

 俺は思わず叫んでいた。
 だが、叫んだことで背中に乗る少年に顔まで地面に押し付けられてしまった。地面に頬を擦り付け、意味もわからないままボロボロと涙が溢れてくる。
 こんなはずじゃなかった。
 俺が憎む帝国は、皇帝は、もっと下種な顔をしているはずで。
 
「悟空、そいつは拘束して聖光宮の牢に繋いでおけ。ひとまず八戒に預けろ。沙汰は追って決める」
「ん。わかった」

 もう俺は皇帝の姿を目に入れる勇気も、抵抗する気力もなくなっていた。
 頭も心も混乱している。いっそ、罵られながら頭を踏まれればまだ良かった。そうすれば、やっぱりこの国は腐っているから、成し遂げられなかったとしても皇帝を殺そうとしたことは間違いではなかったと納得できたのだ。そして、皇帝を殺そうとした俺はたぶん殺されるけど、帝国の何かが変わっていたはずだと信じて死ねた。


 されるがままに手枷と足枷を付けられ、衛兵に連れられて聖光宮へと連行される。

「なぁ、なんで聖光宮の方まで連れてくの? 外の牢屋に入れるんだと思ったけど」
「ッフン。無計画な頭は残念だが、俺を殺そうとする気概は気に入った。それに、アイツならちょうどいいだろう」
「話を直接聞くのに、ってこと?」
「そういうことだ。ここはもういい。行くぞ」
「はーい」

 俺はこの時、知る由もなかった。
 皇帝である三蔵がなぜ貧民街である第五区に来ていたのか。三蔵の背負うものと、三蔵が望んでいる「理想郷」のこと。


 そして――この出会いが、桃源帝国という名の牢獄を壊す、最初のひび割れになることを。