夜の果てまで
波長の合う人
されるがままに聖光宮の地下牢まで連行された俺は、手枷は外されたが、足枷から伸びる鎖を牢屋の壁に繋がれた。身体中を隈なく調べられ、持ち物は小銭に至るまで全て没収される。
だが、もう全てがどうでも良かった。
これまで生きてこれたのは、いつか皇帝に報復してやるという気持ちがあったからこそで、それを実行した今、生きる理由を半ば失ったと言える。
もう一度、という気は湧かなかった。
あの小柄な少年に勝てるイメージが全く湧かなかったのだ。
悟浄も生き抜くために多少の手荒なことはやってきたし、喧嘩ならそこそこ強い自信があった。それなのに、得物を止められるまで存在にすら気づけなかった。
恐らく、護衛として常に張り付いているのであろうあの少年を何とかしなければ皇帝へは辿り着けないが、何とかできるとは到底思えなかった。
ぐるぐると考えていた時、誰かが地下牢に降りてくる足音が聞こえてきた。
鎧の擦れる音がしないので、俺をここまで連れてきた兵士の足音ではない。1人分の足音しかしないので、皇帝が護衛も連れず直接来るとは思えない。そうなると、一体誰がこんな俺に用があるのか全く検討もつかなかった。
「おや、随分目立つ人だなぁ。初めまして。僕は八戒と言います。こちらはジープです。以後、お見知りおきを」
片目にモノクルをした黒髪の好青年だった。
鎧も武器も持たず、代わりにジープと呼ばれた小さな白い竜を肩に乗せていた。
「キュウ!」
ジープは器用に頭を下げてお辞儀をしてみせる。
「可愛いでしょう? 僕の自慢の友達なんですよ」
八戒と名乗る青年は、嬉しそうに笑った。
こちらを害する気はなさそうだが、油断ならない気がして俺は後ずさる。
ガチャガチャとなる足の鎖が不快だった。
「俺に、何の用?」
「ええまあ、そうですよね。ではこうしましょう。貴方が僕に一つ質問する度に、僕も貴方に質問をします。僕が答えたら貴方も絶対に答えてください。僕が答えられなかったら、貴方も答えなくていいですから」
「は? んでそんなこと……」
「それは二つ目になるんですが、最初の質問は見逃してあげましょう。何故こんなことをするのか、ですが、その方が楽しいかなって」
「はあ?!」
「きっと貴方には聞きたいことが沢山あると思うんですよね。それに、僕は三蔵から貴方のことを一任されました。貴方のことを知って、仲良くなりたいじゃないですか」
「俺は別に、アンタと仲良くなりたくはねぇけど」
「おや? 僕と仲良くなっておいた方がいいと思いますよ? そうでなければ、すぐにでも死刑確定だと思いますが」
「……ッ」
「皇帝殺害未遂。未遂とは言え、子供でもわかる大罪ですからねぇ。死にたいと言うのであれば止められませんが、出来れば賢明になって欲しいところです」
そう言われ、少し悩んでしまった。
俺は、まだ生きていたいのだろうか?
生きる理由はほとんど失ってしまったが、死にたいかと言われると迷ってしまうのが正直な気持ちだった。
何度となく死んだ方がマシだと思ったことはあるが、いざ死を目前にすると、意地汚くも死にたくないと思ってしまう。
ここまで来て決断できないような救えない自分が、なんだか笑えてきた。
「ま、どちらにしても、今は僕と仲良くなるゲームを楽しんでおきませんか? なんだか貴方とは仲良くなれそうな気がするんです」
「はっ、それも悪くねぇのかもな。生きる理由はねぇが、死ぬ理由もまだないみたいでな。いいぜ、付き合ってやるよ」
「それはよかった。では、僕がさっき答えたので、次は僕が質問しますね。ご家族はいらっしゃいますか?」
「……まだ生きていればだが、兄貴が一人いる。腹違いのな。親は死んだ」
「なるほど。ありがとうございます。では、次は貴方が質問する番です」
「八戒さんは、皇帝とどういう関係?」
「八戒、でいいですよ。う〜ん……腐れ縁ってやつですかねぇ」
「なんだそれ。よくわかんねーよ」
「ここで簡単には説明できなくて、すみません」
「まぁいいよ。説明されてもわかる気もしねぇし」
「では僕の質問の番ですね。三蔵を殺そうとした理由は凡そ検討が付くのですが、もし成功していたとして、その後どうするつもりだったのですか?」
「……そんなのわかんねーよ。でも、この国をぶっ壊してやりたいと思ってた」
「そうですか……。では、そろそろ時間なので次で最後です。何が聞きたいですか?」
「あの三蔵っていう皇帝は、なんで皇帝になったの?」
「そう来ましたか。それは、今は答えられません」
「今は、っていうのは?」
「僕の次の質問の答え次第で、お答えしてあげられます」
「……」
とても意味深な顔でじっと覗き込まれ、心の奥まで見透かされそうで思わず目を反らした。
あの時の皇帝の哀しみを含んだ眼差しの意味は、やはり簡単には教えてもらえないらしい。
ぐっと目を閉じてお腹に力を籠め、八戒を見返す。
「いいぜ、最後の質問ってやつ、聞いてやるよ」
「ふふ、頼もしいことです。では、貴方は帝国をぶっ壊すための真実を知る勇気がありますか?」
「しん、じつ……? それは、どういう」
「そのままの意味です。帝国の真実を知る勇気があるのかという」
俺はすぐには意味がわからなかった。
真実も何も、今まで俺が生きて、見て、聞いてきた事が嘘だというのだろうか。
大地に魔力の満ちた帝都と魔力のない帝都の外。
それゆえに起こる権力と力の差。これは間違えようのない事実で、教科書にだって当たり前のように書かれている史実である。
「貴方に勇気があるのなら、僕は全てを話します。三蔵の許可も得ますので、そこで躊躇う必要はありません。ただ断られてしまうと、死刑を免れるのがちょっと難しくなってしまいますので、僕としては、貴方にも秘密の真実を共有して貰えると嬉しいですけどね」
そう言って、八戒は優しく微笑んだ。
「また明日来ます。その時に答えを聞かせてください」
「キュッ!」
ジープが八戒の耳をツンツンとつついている。
「わかってます。急ぎましょう。では悟浄さん、また明日」
最後に俺の名前を呼んで、来た時よりも早足で八戒は出ていった。
どうも今日は調子の狂う日だ。
皇帝も八戒もあの護衛の少年も、誰も極悪人には思えない。
それに、帝国をぶっ壊すための真実? 何故皇帝が帝国を壊そうとしているのだ。
何故彼らがいるのに、帝国は腐ったままなのだろう?
結局は彼らも表面だけ取り繕っていて、中身は腐っているのだろうか?
だとすれば、もう何を信じればいいのか俺にはわからない。あんなことを言われ、自分の知識や記憶さえ信じていいのかわからなくなってしまった。
だが、八戒が俺にわざわざ嘘を言うメリットが全く見当たらない。第五区に住んでいる人間は奴隷も同然なのだから、死刑になろうが痛くも痒くもないはずだ。
ましてや、先ほど顔を合わせたばかりの、役に立つともわからぬ赤の他人である。
ただ、なんとなく……。八戒とは波長が合うような、そんな不思議な感じがした。
今まで関わることのなかった聖光宮の人間はどんなに高慢なやつだろうと想像していたが、どうもそういった手合いには思えない。
表面を取り繕っているのだとしても、それを確かめる為にも、死ぬ前に一度話に乗ってみるのも悪くないかもしれないと思ったのだった。