始まりの料理

以前イベントで配布したお話です。
旅後設定で、一人暮らしを始めた三蔵が、新しい家電たちと闘う話。
一応悟浄は八戒と前の家に住んでいます。まだ……まだ、ね。

「八戒、料理を教えてくれ」

「え? なんですって?」

「だから、料理を、」

「明日は雨ですかねぇ……」

「オイ」

長い旅を終え、長安に戻った後。
自分がいない間に慶雲院はうまく回るように体制が整っていた。
むしろ、不愛想で物騒な最高層様が帰ってきたことを表向きは歓迎しているものの、諸手を挙げて喜んでいる様子ではなかった。
そこで三蔵の方もこれ幸いと、慶雲院を出て暮らすことにした。
しかし、いろいろな後始末をしなければいけないのも確かで、すぐにというわけにはいかなかった。
悟空とジープは各地に使いに行ってもらっていて、悟浄と八戒はまた前の家で同居をしながら雑用をこなしてくれている(押し付けているとも言う)。
そういうごちゃごちゃしたものが、やっとひと段落して余裕ができた頃。
慶雲院からそう離れておらず、周りも静かな場所に見つけた小さな家に三蔵は引っ越した。
引っ越しとは言っても、荷物は段ボール三つに収まるくらいで、そのうち二つは法衣だなんだと嵩張る衣類だった。
あとは煙草とライターの買い置きに、悟空が宝物なんだと言い張るガラクタたち。それらを悟浄に運ばせておいて、自分は身一つで新しい住処に移った。

「ほんっとに、なんもねーのな。アンタ」

「必要になったら買えばいいだろうが」

「それも俺に運ばせる気?」

「わかってンじゃねぇか」

「へいへい」

けれど、それがまんざらでもない表情の悟浄。
三蔵の家に来るちょうどいい言い訳になるな、なんて思っているに違いなかった。
八戒に、「一応聞いておきますけど、一緒には住まないんですか」と、聞かれた。
けれど、二人ともにその気はなかった。
ずっと一緒にいられるのは確かに幸せかもしれないとは思った。
けれど、今まで散々共に旅をしてきたし、会おうと思えば会える距離。
なにより、自分たちの二人暮らしは目立ちすぎる。
桃源郷に平穏をもたらした英雄のうち、最高層と半妖が同居など、一瞬であることないこと囁かれるに違いない。
自分たち自身は平気でも、地位とか立場とか……そういう面倒臭くて、でも投げ出せないものを自分たちは背負ってしまっていた。

「じゃ、また来るわ。悟空が帰ってきたらうちにも寄ってけって言っといて」
「言わんでも行くだろ」
「じゃあ、三蔵は?」
「……気が向いたらな」

そういって、三蔵は悟浄を引き寄せて口づけた。
少しカサついたお互いの唇を、交互に舐めあう。
それから三蔵が悟浄の舌を絡め取り、丁寧に歯列をなぞって、そうしてようやく唇を離した。

「……ったく、三ちゃん、ガッツキすぎ」
「好きだろ」
「俺より三蔵だろ?」
「……ッフン」

その後、ヒラヒラと手を振って、悟浄は帰っていった。
口の中に残る悟浄の味を消してしまうのが惜しくて、せっかく入れたコーヒーが、飲む頃にはすっかり冷めてしまっていた。そんな、昼下がり。


「なんだこれは」

三蔵は思わず口にしてしまい、そして余計にげんなりした。
一人暮らしというのは想像以上に面倒なことばかりだった。
悟空も滅多に帰ってこないので、身の回りのことは全て自分でやらなければならない。
まず直面した問題は、料理だった。
慶雲院では定刻になれば食事が運ばれてきていたし、旅の間は簡易食糧か、八戒か悟浄が何か作るか、店で食べるかのどれかだった。
三仏神に渡されているクレジットカードは、今では悟空が持って桃源郷中を巡っている。
別に、最高層たる三蔵法師様なのだから金に困っているというわけではないのだが、なんせ外に出るのがもう面倒くさい。自炊をしようかと思い立って始めたが、結果は散々だった。
サバイバル料理なら、できる。
獣を捌いて焚き火で炙るとか、魚を捕まえて串刺しにして焚き火で炙るとか、山菜を取って軽く煮るか焚き火で…。

はた、と気づいた。

『三蔵様が住まわれるのだから!』と、小さいくせにやたらと設備のいいこの家は……。

〝オール電化〟だった。

つまり、直火ではなくIHのコンロが付いていたのである。
フライパンに焦げ付いた黒い塊と、炊飯器の中の生煮えで美味しくない米。

「ッチ」

とりあえず、それらに向き合うのも嫌になって、野菜を手でちぎった即席サラダとレトルトのカレーを食べた。
白米はなしである。

翌日、さっそく悟浄を呼びつけた。

「っぶ、ぶはははは! なんだよこれ!」

台所の惨事を見た悟浄はしばらく笑い転げていた。
無視して新聞を読んでいたが、あんまりにも笑うからついにゴロゴロ転がる悟浄を踏みつけた。
仰向けに転がった悟浄の腹をムニムニと踏む。

「ひーっ、ひーっ、お前、料理出来なかったっけ?」
「IHとかいうのが悪い」
「ああ、火加減がわかんなかったのね」
「ワットとはなんだ。意味がわからん」
「あーはいはい、ちょっと待ってな」

悟浄は三蔵の足の下から抜け出し、炊飯器を見た。

「あー、三蔵。これ水少なかっただろ。それなら水足してもう一回炊けば、なんとかなるから」

そう言って、悟浄は水を足して炊飯のスイッチを入れた。

「フライパンはなー、八戒ならなんとかできるかもしれねぇけど、もう捨てちまって新しいの買おうぜ。ちなみに何作ろうとしてたのよ」
「……炒り卵」
「〜〜〜ッ、ひ、も、もうやめてー! アバラ折れるわ、く、ククッ」
「そんなにお望みなら腹に風穴開けてやろうか」
「あと、十秒、いや、五秒待って。ひーひーふーっ、ひーひーふーっ」

まだ顔はニヤついていたが、なぜかラマーズ法で笑いを収めた悟浄は冷蔵庫を開けて中を確認している。

「あー、それなりにあるんだ。意外」
「街歩いてるだけでやたらと押し付けられんだよ」
「あら、モテ期? 妬けちゃう~」

クツクツと笑いながら、卵を二つ取り出している。
後ろから手元を覗き込むと、悟浄は振り返ってニヤっと笑い掠めるようなキスをしてきた。

「イイ子で待っててよ」
「……フン」

フライパンをダメにしてしまったので、悟浄は小さな鍋をIHの上に置いた。
とりあえず最高ワットで鍋を温める。
その間に小さめのボウルに卵を二つ、片手で割り入れた。 
ドヤ顔をしてきたので、後ろから膝で軽く蹴っておく。
箸でカシャカシャと手際よくかき混ぜ、途中で砂糖と醤油を足す。

「塩の代わりに醤油だと楽。甘いのが好きなら砂糖を足せばいいと思うぜ」

それから鍋に油を敷いて、IHの温度を下げる。鍋をくるくる回して油を広げたら、かき混ぜた卵をジュッと一気に流し込んだ。

「八戒だったら、バター使うんだろうけどなぁ」

三蔵に言っているのか独り言なのか、どちらとも取れる言い方をしたので三蔵は返事をしなかった。
だいたい、バターは今ないし、食べられるものが作れるのなら三蔵はなんでもよかった。

「ほら、こうやってすぐにかき混ぜるだろ? そしたらもう火から降ろしちゃうんだよ。あ、三蔵お皿お皿!」

IHのスイッチを切って、ぐるぐると大きく卵をかき混ぜている悟浄に皿を差し出してやる。
鍋を傾けて中身を皿に乗せると、少しとろっとしている炒り卵が出来上がった。

「っふー、危ねー危ねー。皿出しとくの忘れてた。ちょっと固まっちまったけど、ま、こんなもんじゃねーの?」

そういって、少し失敗してしまったと笑っているが、三蔵が作ったものに比べれば上出来である。
なんとなく、どうしていいかわからなくて立ち尽くしていると「食べようぜ」と、言われて我に返った。

「悟浄、マヨ」
「えぇ、これにも?」

せっかく作ってやったのにと、ぶつくさ言いながらも冷蔵庫からマヨネーズを取って渡してくれる。
仕方がないのでいつもより控えめにマヨネーズをかけて、きちんと手を合わせてから口に運んだ。

「……」
「ど、どう?」
「食える」
「……そっか、よかった」

ちょっと照れたように頬を掻きながら笑うから、思わず身を乗り出して悟浄の後頭部を引き寄せてキスをした。
驚いた様子の悟浄だったが、すぐにニヤリと笑うと口を開いて口内に招き入れてくれる。
しばらく三蔵は、甘くない卵とマヨネーズと悟浄の味を堪能した。

「マヨネーズ味なんですけど」
「うまいだろうが」

悟浄と二人で一皿の炒り卵を食べ、満足げに片側の口の端を上げて三蔵は再び手を合わせてご馳走様をする。

「それで、どうよ」
「なにがだ」
「料理、できそう?」
「……」

途端にむすっと眉間に皺を寄せる三蔵を見て、悟浄はまたクツクツと笑った。
皿と箸を流しに運び、さっきの鍋と一緒に洗って水切り籠に伏せていく悟浄の後ろ姿を煙草を吸いながら眺める。
まぁ、こんな日も悪くないかもな、なんて思いながら。

「もっと、さ、簡単なの作ってみたら? いやまぁ、炒り卵も簡単だけど」
「バカにしてんのか」
「じゃなくて、ほら、火加減わかんねーのに、火加減が大事な料理ってむずくね? もうこの際さ、火力マックスで作る炒飯とか、焼きそばとか? そういう、炒めるだけのやつにしたらどうよ」
「……考えておく」

悟浄が洗い物を終えると、タイミングよく炊飯器がピロピロとなり始めた。
蓋を開けると、今度はきちんとお米が水を吸ってふっくらと炊き上がっている。

「適当も時には大事だけどさ、米は面倒くさがらずにちゃんと測って入れろよな」

さすがに一回で懲りたので、「わかってる」と小さく頷いた。
というかそもそも、炊飯器ぐらい簡単だろうと思っていたのだが、考え事をしていたら何合入れたかわからなくなってしまったのだ。
二か? 三か?
でも米を戻して測り直すのは面倒くさい。そしてその結果がアレである。
真相を話せばまた年寄りだのなんだのと言われるのが癪だったので言わないだけだ。
面倒くさがった結果というところに間違いはないので、素直に頷いておくのが良い。
余計なことを言って喧嘩をする方が、さらに面倒を重ねることになるだけだから。

その後、午後から三蔵は慶雲院に行かなければならなかったし、悟浄も用があるからと言って帰っていった。
その日の昼食は慶雲院で。
夕食は帰りに街で出来合いのものを買い、今朝悟浄が炊き直してくれたご飯をよそって食べた。
余ったご飯は八戒が「絶対使いますから」と置いていったご飯を冷凍する用のタッパに入れ、荒熱を取ってから冷凍庫に仕舞っておいた。
正直、余計なものを置いていきやがって、と思っていたが、きちんと一人分ずつ小分けにできるしレンジで温めればそのまま食べられる。うまくできてるもんだと感心した。
そして、これを置いていった八戒に驚きを通り越して呆れた。
これから先の生活を考えるといよいよ頭が上がらないかもしれないと思い、盛大な舌打ちをする。
しかし、そうは思っていても急に態度を変えることができれば今までの苦労のいくつかは減っていただろうから、今後は仕事を依頼したときの賃金を少し増やしてやろうと思うのだった。

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