夜の果てまで

一つ目の後悔

 陽の光の届かない地下から引き上げられた悟浄は、聖光宮の上階の角部屋、特別室に運ばれた。

 三蔵と悟空、八戒に夜詠が見守る中、三蔵の浄化魔術が緩やかに悟浄の身体を包んでいる。

 悟空がその場で吸収した悟浄の魔力は、とても歪なものだった。悟空であっても一定程度以上は体に影響が出るとのことで、少量を解析用に保有してもらい聖光宮まで持ち帰った。

 そして、あの場で吸収するのを途中で弾かれた原因。それを悟浄に聞かなければならなかった。

 なぜなら、悟空が原因で吸収が止まったのではなく、悟浄の中の何かが吸収を阻害しようとしたのだと言う。

「今まで感じたことの無い力だった」

 そう、悟空は報告をした。

 それが悟浄にとって良いものか悪いものか、現時点ではそれすら判断がつかない。

 ひとまず、悟浄が目覚めて話を聞いてから調べようという話になったのだった。

 そして、ジープは手負いの状態だったが、八戒がどう説得しても特別室前の定位置を陣取り動こうとしなかった。「こいつなりの責任の取り方だろう」と三蔵が言って、最後は八戒が引き下がる形となった。

「もう、大丈夫だ」

 三蔵が呟き、浄化魔法を止める。すると、悟浄はゆっくりと目を開いた。瞳の焦点ははっきりしており、意識も明瞭そうだ。

 だが、痛みの余韻がまだ身体を支配しているのか、目線だけで何かを訴えている。それに気づいた八戒が、そっと上半身を抱き起こして玲蜜水の入ったコップを口元へ持っていった。

 悟浄は慌てたように飲むが、上手く力が入らないせいでボトボトと零してしまう。

 夜詠が八戒におかわりを差し出すと、今度はこぼさないようにゆっくりと、全てを飲み干した。

 ふぅ、と息を吐くと、身体の力が抜けて悟浄は再び気絶するように眠ってしまった。

「少し休ませて、話を聞くのは日を改めた方が良さそうですね」

「ッチ、夜詠は蘭家を徹底的に調べろ。昼夜を問わずその動向を見張っておけ。悟空はここで待機だ。何かあれば直ぐに知らせろ」

「うん。任せといて」

「必ず尻尾を掴んでみせます」

 二人は力強く返事をする。

 特に夜詠には使命感と悔しさが入り混じった覚悟の色が見えた。

「僕は……」

 八戒は、眠っている悟浄の頬に張り付いた髪をそっと除けてやると、三蔵を正面から見据える。

「現場に戻って、犯人の痕跡がないか探します。その間、三蔵にはお願いしたいことがあるのですが」

「なんだ」

「先程起こした際に見つけたのですが、ここ、悟浄の首の後ろに紋様が残っています」

「……」

「僕が頼める立場じゃないのは承知の上で貴方に言います。悟浄のこと、よろしくお願いします」

「確かにこれだけの失態を見せられて、てめぇに言われる筋合いはないな。言われるまでもなく、だ」

 八戒は「そうですよね」と苦笑しながら立ち上がり、夜詠に続いて部屋を静かに出ていった。

 三蔵は溜息をつき、悟浄の枕元に腰を下ろす。そっと髪をかき分け首筋を確認すると、確かに歪な紋様が見えた。

 指の背でするりと撫でると、くすぐったかったのか悟浄の顔が三蔵の方を向く。

「なぜ、お前なんだろうな」

 小さく吐き出された言葉。

 それを聞き逃す悟空ではなく。

「三蔵、ホントにわかんねーの?」

「……どういう意味だ」

「三蔵がどーゆー意味で言ってんのかわかんねーけどさ、たぶんどっちでも答えは一緒だよ」

「……」

「自分の気持ちも大事にしないと、きっと後悔するよ。三蔵が大変な立場だってのもわかってるけど、後悔してからじゃ遅いんだ」

「何言ってっかわかんねぇよサル」

 三蔵は苛立ったように言い捨てると、煙草を取り出して火を点けた。長く吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出す。

「サルじゃねーよ!」

 悟空が頬を膨らませて口を尖らせた。

 しかし、三蔵の様子をじっと見つめ、不安そうに瞳を揺らす。

 

「……三蔵、怒ってんの? オレの言い方、気に食わなかった?」

「……違う」

 低く、押し殺すような声。

「わかったような気になってた自分に嫌気が差しただけだ」

「……そっか」

 悟空はうんうん、と何かを納得したように頷いている。

 当の本人である三蔵よりも納得したような表情に、思わず眉間の皴がひとつ増えた。

「失うのが怖いんだろ? 悟浄のこと、誰よりも気にしてんのに、認めたら壊れそうで」

 そう言われ、三蔵はガツンと頭を殴られる思いがした。

 悟空は、悟浄の眠る顔を見ていて三蔵の表情に気が付かない。気が付かないから、そのまま言葉を続けた。

「誰かのために必死になる三蔵を、オレ、初めて見た」

 ちょっと嬉しそうに笑う悟空が顔を上げたとき、三蔵は窓の外を見ていて表情が伺えなかった。

「オレ、ジープのことも心配だし外で見張ってる。何かあったら呼んで」

 それだけを言い残し、悟空は足取りも軽く部屋を出ていく。

 静寂が戻った室内。

 二人の間の契約が、誰にも知られずにそっと光る。

「もっと早く、認めるべきだったのかもな」

 三蔵はひとり、煙草の火が尽きるまで悟浄の髪を梳き続けていた。