夜の果てまで

ここが帰る場所

目標R18だったのにすみません……。

次回に持ち越しです。

 結局、悟浄は丸二日眠り続けた。それだけ肉体的な消耗が大きかった。

 二日の間に三蔵、悟空、八戒、夜詠の四人は交代で悟浄を見守っていた。特に多忙なはずの三蔵と夜詠には、時間を短くするよう八戒が提案したが即座に却下された。

 誰もが、それぞれの責任と後悔を抱えていた。

 だから、悟浄が目覚めたのが三蔵の担当する時間だったのは本当に偶然だったのである。

 ゆっくりと目を開けた悟浄は、まず部屋の眩しさにくらりとした。しぱしぱとまばたきをしながら、指先から少しずつ動かし、自分の身体が自分の意志で動くのを確かめる。

 どれくらい寝ていたのか。身体がダルくて仕方がなかったが、頭はずいぶんスッキリしていた。

「悟浄……? 起きたのか?」

 悟浄が動く気配を感じたのだろう。なぜだかとても懐かしく感じる声に、悟浄は思わず泣きそうなってぐっと堪える。

「おれ、どのくらい寝てた?」

「二日と半日程だ。どこか調子が悪いところはないか? 何があったか覚えているか?」

「まって、待って三蔵。一個ずつ話そうぜ。俺もちょっと混乱してるとこあるし」

「……すまん。だが、よかった」

 三蔵が柄にもなく眉間に皺を寄せないで、「よかった」なんて言うから面食らってしまった。それから、あっという間に美人な顔が目の前にいてさらに驚く。キラキラと室内の照明を透かして輝く金髪に、思わず目を細めてしまった。

「悟浄、好きだ。俺の傍にいろ」

 何を言っているんだと問い返そうとした唇に、三蔵の唇が重なる。固まる悟浄の口内に、三蔵の舌がするりと入ってきた。

「ん、う」

 先ほど自分のものだと確かめた身体は、何故か思うように動いてくれない。じゅっと吸い上げられると、その振動で舌がビリビリと痺れる。

 上の歯の裏側を舐められた時、ゾクゾクとしたものが悟浄の背中を駆け上がった。それから―――

「ま、まて、ちょ、待て三蔵!!!」

「うるせぇぞ黙って……」

「と、トイレに行かせてくれっ! 漏れるーーーー!」

 あまりにも色気のない言葉に、三蔵も完全に毒気を抜かれてしまったようだった。片手で顔を覆うと、舌打ちをして悟浄を抱き起す。片手を三蔵の方に回し、片手で下腹部を押さえながらトイレまで向かう悟浄は、情けなさに泣きそうだった。いや、ちょっと涙が滲んでいたかもしれない。

 その後も、風呂に入りたいだの腹が減っただのと悟浄が騒ぎ、三蔵は仕方なく残りの三人に悟浄が目を覚ましたことを連絡した。

 さっきあったことをなかったことにはされたくないが、状況を整理することが優先であるのも確かだった。

「悟浄さん、三蔵様。申し訳ございませんでした。私がもっと早く動けていれば……こんなことには……」

 全員が集まるなり夜詠がその場に跪き、両手を前に突き出して深く頭を下げた。

「夜詠、顔を上げろ」

 悟浄の声しっかりとした響きを持っていた。夜詠は震えながら顔を上げる。

 三蔵は見守ることにしたようで、口を出す気配はない。

「……私に侍女の資格はありません。悟浄さんを守れなかった。私は――」

「それ以上、言うな」

 悟浄の声がぴしゃりと遮る。悟浄はゆっくりと近づくと、目線を合わせて夜詠の顔を真っすぐに見つめた。

「夜詠は仕事をサボったりなんかしてなかった。敵だって、あえてお前の隙を付いてきたんだろ」

「ですから、私に隙があったから……!」

「やめろって言ってんだ」

 悟浄の語気は鋭くなったが、目は優しかった。

「俺は、俺が無事でよかったって思ってくれるお前がここにいてくれるだけで、十分なんだよ。そんな顔すんな」

 夜詠は堪えきれず、涙を流した。自分の無力さと、悟浄の優しさの両方が心の奥を強く締め付ける。

 しばらく沈黙が流れた後、三蔵が口を開いた。

「夜詠」

「……はい」

「一応、監督不行き届きの責任は取ってもらう」

「ちょ、三蔵そういうのはッ」

「いえ、いいんです。止めないでください悟浄さん」

 夜詠が悟浄に向かって静かに頷くと、三蔵は腕を組み直して言った。

「これから一ヶ月、悟浄の身の回りの世話と健康管理を一人でやれ。朝夕の報告も義務とする」

「……ッそれは、罰というより」

「罰だ。俺の前で後悔めいたことを口にしたんだから、次こそちゃんと果たせ」

 言いながら、三蔵の視線はどこか遠くを見ていた。優しさに擬態したその命令は、悟浄がこれ以上何かを失わないようにという願いでもあった。

 悟浄は自分の境遇に対して、お人好しで優しすぎる。誰かを切り捨てることはきっとできないだろうと、三蔵にもわかっていた。

 夜詠は涙を拭い、深く頭を下げる。

「……承知いたしました」

 悟浄はあからさまにほっとした表情をしていた。その様子に思わず舌打ちしそうになり、なんとか思い留まる。

 ふと、三蔵の視線が悟浄の首筋に残る紋様に移った。思わず手を伸ばしそうになったが、寸前で止めた。代わりに口を開く。

「悟浄、身体に違和感はないのか」

「まーちょっと身体がなまっちまってダルいくらいかな。特に何もねーよ?」

 悟浄が軽く笑う。

 誰も、首筋に残った紋様について言い出すことはなかった。言えば、悟浄の負担になると考えたのだ。それに、もしかしたら消えてなくなる可能性だってまだ残っている。

「これからしばらく、この部屋で過ごしてもらう。もうあの家も安全とは言えなくなったんでな」

「げっ、外に出られねーの?」

「悟空がいれば、宮内の一部には行ってもいい。だが、絶対に一人にはなるな」

「あーあー。ありがたいこった」

 悟浄は不貞腐れながらも、夜詠や八戒の護衛を掻い潜って攫われた自覚はあるらしく、それ以上文句は言わなかった。

「それから、準備ができ次第、また魔法塔へ行く。魔力制御の練習だけは欠かさずしておけ」

「わーったよ」

 悟浄の世話をしようとさっそく張り切った夜詠が軽食を作り、テーブルに並べている。悟空に手を引かれて笑いながら食事を始めた二人を眺め、三蔵は煙草に火をつけた。

「三蔵、いいですか?」

「なんだ」

 悟浄達から目線をそらさぬまま、煙を吐き出し八戒に答える。

「悟浄とジープのいた場所を調べてきました」

 八戒は手に持っていた封筒を差し出した。

「これが、現場で採取した魔力痕跡と、地形図です。可能な限り痕跡を精査しましたが……」

「……何も残ってなかったか」

「ええ。表面上は綺麗に処理されていました。まるで、最初から痕跡を消すための魔術が発動されていたように」

 三蔵の目が細まり、報告書を持つ手に力が入る。

「つまり、計画的だったと」

「はい。悟浄が攫われた瞬間だけでなく、そこに至るまでの導線や出入りも、巧妙に隠されていました。監視の目もすり抜けています。普通の手口ではありません」

 三蔵は煙草のフィルターを噛み、煙を短く吐き出した。

「蘭家の仕業と見て間違いないか」

「断定はできませんが、強い関与があると見ていいでしょう。現場付近で使われていた転移陣の痕跡が、過去に蘭家が使っていたものと酷似していました。微細な魔力の癖が一致しています」

「……」

 三蔵は黙ったまま、窓の外を眺めた。蘭家であるのは疑いようもないが、この程度では決定的な証拠にはなり得ない。それに、何かもっとキナ臭いもの感じる。

「他には?」

「蘭家にここまでの情報を集められるとは思えないのが、正直なところです。攫った計画もですが、悟浄自身のことも」

「内通者がいる……?」

「可能性はありますが、三蔵、あなたに対する執着を感じます。皇帝の座から引きずり下ろすのであれば、最初に悟浄を狙う必要はないでしょう。こう言ってはなんですが、あの時点で悟浄の重要度はそれほど高くなかったはずです。こちらでもある程度情報操作は行っていましたし」

「だが、蘭家は元々皇帝の座をかすめ取った俺を恨んでいるはずだ」

「それはそうですが、現皇帝に執着しているのであって、三蔵にではないでしょう? 今回の件は、明らかに三蔵個人を狙っている気がするんです。もしくは元から悟浄を狙って……という線もありますが、そちらはほとんどないと思います」

「……」

「何か、心当たりはないんですか?」

「もしかしたら、だが――」

 三蔵は、そこで無意識に蓋をしていた記憶を掘り起こす。三蔵の養父であり師である、光明の元へ時折訪れていた真っ黒な烏。顔は笑っているが、その目はいつも、眼鏡の奥で怪しい光を放っていた。

 三蔵を値踏みするような目で見ていたのを思い出す。お前は光明に相応しいのか? と。

 そして、光明が死んでからは顔を見せることはなかった。

 三蔵も自分のことで手一杯でしばらく忘れていたが、あの烏は得体の知れない不気味さがあった。三蔵に執着する理由は思い当たらないが、光明絡みであるとしたら不思議と納得できる。

「烏哭、という師の古い知り合いがいる。そいつが裏で手を引いているとすれば、あるいは……」

「わかりました。調べてみます」

 八戒はしっかりと頷くと、悟浄たちの元へ歩いていった。その顔はもういつもの笑顔で、ほんの少しの不安も感じさせない。

 肉ばかり食べる二人に、野菜も食べるよう勧めている。その様子がなんだか可笑しくて、三蔵は誰にも気づかれず、小さく笑ったのだった。