夜の果てまで
懺悔
後半、花喃の死産の話※があります。
苦手な方はすみません。回れ右でお戻りください。
花喃自身は生存ルートです。
内容としては、
1.侍女としてオリジナル新キャラ夜詠(やえ)の登場
2.前話で三蔵に欲しいものを問われた悟浄の答え
3.悟浄の初めての魔法の練習
4.八戒と三蔵の出会いの話※
です。
3までの話が気になる方は途中にある区切り線までお読みください。
八戒と悟浄は、元は光明の住んでいた家で穏やかに過ごしていた。
一番心配されていた悟浄の体の変化だったが、特に異常が出ることも無く数日が過ぎた。
その間に、三蔵から派遣されて来たという侍女もやってきた。名前を夜詠(やえ)と言い、二人の家の近くに住んでいるという。
「普段は庭のお手入れや三蔵様の雑用などをさせていただいておりました。この度はお二人のお手伝いを仰せつかっております。悟浄様のことに関しては、特定の人物以外には話せないよう契約を結んでおりますのでご安心ください」
そう言って、夜詠は少し厚めのしっかりした紙を見せてくれた。
悟浄にはただ複雑な模様とサインが書いてあるように見えるだけだったが、八戒は理解できるようで、悟浄に頷いてみせた。
「一応、信頼出来る人だってのは分かった。そんで、その悟浄様っての辞めてくんない? 様付けされるような立場じゃないのよ。最近まで貧民街の一庶民だったわけだし」
「―――それでは、悟浄さん。でよろしいでしょうか」
「まぁそっちの方がマシか。これからよろしく、夜詠ちゃん」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
そう言うと、夜詠は手に持っていた荷物を八戒に渡して帰って行った。呼んでくれればいつでもすぐに来ると言っていたが、どういうことなんだろうか。
そう思っていると、
「夜詠さんは、探知魔法に優れているんです。普段の庭師の仕事は、不審な者がいないかの見張りも兼ねているんですよ。まさか、三蔵が夜詠さんをこちらに送ってくるとは驚きました。確かに信用できる人は限られてますが、その中でも重要な役割を持つ一人なので」
と教えてくれた。つまり、たいへん仕事のできる有能な侍女を手配してくれたらしい。
正直ここまでする必要があるのか疑問だったが、悟浄に口出しする権限も理由もない。
今の課題は、魔力を自ら引き出して魔法を行使できるようになることだった。
「それとこれは……。全く、結局届けさせるんですから」
八戒は夜詠から受け取った荷物をそのまま悟浄に渡してきた。
中を見ると、煙草が二カートン入っている。
「マジ?! やった! 三蔵様大好き~~」
貧民街で暮らしていたころは自分で買うには手が届かない煙草だったが、仕事の報酬でおまけに数本貰ったり、まだ吸えそうなものを拾っては吸っていた。地を這い泥にまみれた暮らしの中、唯一の贅沢品だったのである。
三蔵に欲しいもは何かと聞かれ、思いついたのが煙草しかなかったのだが、八戒には何度もそれでいいのかと聞かれた。
そう言われても、ずいぶんご無沙汰していたし、考え直しても煙草が欲しいとかしか思いつかなかった時には悟空にまで呆れられたのだった。
そして本題。
最初の一日目の訓練は、魔力を出す感覚に慣れること。
帝都には魔法塔から漏れ出す魔力が帝都を囲む外壁までゆったりと満ちており、その魔力を集めて人へ補給するためのアイテムも露店で普通に売られている。
身体のどこを媒介として魔法を使ってもいいが、大半の人は手や杖から魔法を放つ。一番イメージがしやすいからだ。
悟浄もまずは、感覚の分かり易い手から魔法の感覚を掴んでいくことになった。
「いいですか、魔法はイメージです。適性などもありますが、悟浄は先ず護身用の武器を出せるようにしましょう。三蔵が銃を出していたのと同じです。初めは球体を出してみましょうか」
「そう言われてもなぁ」
「どんなイメージでもいいのですが、体の中の魔力の流れを掌に集中させてみてください。魔力の流れは血液と同じです。血液の流れを意識してもいいですよ」
「んん、流れを……集める……」
血液でもいいと言われても、悟浄は血液の流れすら意識したことがないのでよくわからない。悟浄でなくとも、自分の血液の流れを意識したことがあるという人の方が少ないだろう。
わからないなりに、身体の内側に意識を向けてみる。直近の実感が神殿での実験で、三蔵から魔力を流し込まれた時のことを思い出す。
なんとなく身体を巡る魔力を意識できたが、ついでに余計なことまで思い出して顔が火照りかけ、ブンブンと頭を振って邪念を追い払った。
「そうしたら、手で魔力を軽く握りこむように、魔力の塊りを作るイメージをしてください」
「こ、こんな感じか?」
悟浄の手の平の上に小さくぐるぐると光が回り、小さな小さな銀色の球体が現れた。それはシャツのボタンより小さな球体だったが、コロンと手の上に落ちてきてすぐに光の粒となり霧散した。
「今、今の! 見た?!」
「ええ、上手いじゃないですか」
そういってニコリと笑う八戒に、年甲斐もなくはしゃいでしまったのが途端に恥ずかしくなってきた。
とはいえ、人生初の魔法体験に興奮は抑えきれない。感覚を忘れない内にと、その後も何度か挑戦してみる。
夢中でやっている内に、ボタンより小さかった球体はどうにか小銭くらいのサイズにはなった。
「少し休憩しましょうか」
「おう、そうだな。って、あれ」
悟浄はクラリと来て、思わずテーブルに手をついた。
倒れるほどではないが、立ち眩みのような感覚である。
「今日はもうやめた方が良さそうですね。その内自分の限界もわかると思いますし、練習していればだんだん使える魔力量も増えますから。少しずつやれば、身体にも問題ありませんよ」
八戒の少し含みのある言葉に、悟浄は苦笑いを返した。
いくら魔力が増えて魔法が使えるようになったとはいえ、スタートがそもそもゼロに近いのだから八戒たちの様には使えないのを痛感する。
やりすぎるとまたあの時のようになってしまうと考えると、無茶をしようという気にはなれなかった。
再び思い出しそうになった記憶を追い払い、八戒が用意してくれたコップの中身を一気に飲み干した。
「そういえばさ、この玲蜜水(れいみつすい)って悟空がいないと作れないとか聞いたけど、どうやって作ってんの?」
「ああ、これはですね、微精霊が好むという花の蜜を薄めたものなんです。微精霊が見えるのは悟空だけですから、たまに悟空に集めてもらってストックしておくんです。それでも、たくさん作れるものではないんですけどね」
「それって、割と貴重なもんじゃね? こんなことで俺に飲ませると勿体ねぇっつーか……」
「いいんですよ。今貴方が魔法を使えるようになることは最優先事項ですから」
「なぁ、俺ってそんなに重要なの? イマイチ実感がないっつーかさ、八戒はなんで三蔵たちに協力してるわけ? あ、いや、言いたくないなら話さなくていい……んだけど……」
この帝国で、魔法塔を壊そうなんてぶっ飛んだことをしようとしている三蔵に「腐れ縁だから」と協力している八戒がずっと不思議ではあった。
特に、実験後の様子を見ていても、三蔵より悟浄の味方をしているようで益々わからなかったのだ。
元々知り合いだったわけでもなく、牢屋で会ったのが最初だったはず。それなのに、何故と。
「そうですね……。僕は、貴方に謝らなければならないんです。そう、最初からずっと、悟浄に言わなければいけないことだった」
八戒は手に持っていた湯呑をコトリとテーブルに置き、悟浄にも椅子と温かいお茶を勧めた。
それに黙って応じ、悟浄は八戒の俯く顔をじっと見る。
「そりゃ、何かあるだろうとは思ってたけど、八戒はずっと俺に親切だったし謝ることなんてないだろ」
「いいえ、僕は悟浄を実験台として身代わりにしてしまっている。一歩間違えば死んでしまうようなことを、わかっていて止めずにいるんですから」
「でも、それって結局は帝国の為になることなんだろ? 八戒が一人で責任を感じるようなことじゃ……」
「僕には、恋人がいるんです」
「恋人……?」
「そう、花喃というのですが、今は聖光宮にいます」
「にしては俺、見たことないような」
「ええ。もうここ数年ずっと寝たきりで、目を覚まさないんです」
今にも泣きだしそうな顔で笑う八戒に、悟浄は言葉を紡げなかった。
「こんなことを話すのはズルいとわかっているんです。だから今まで言い出せなかった。でも、悟浄がどこかで僕のことを不審に思っているのもわかっていたんです。ですので、僕のことを信用してもらうためにも、聞いてくれますか?」
申し訳なさそうに聞いてくる八戒の手は少し震えていた。
外は、しとしとと雨が降り出していた―――。
※※※この先、八戒の過去の話の中に花喃が死産したという内容が出てきます。ご注意ください。※※※
「悟浄、こちらです」
雨は静かに降り続いていた。
聖光宮の一角、香の薄く焚かれた部屋の中には、微かな寝息と雨の音だけが流れている。
奥に据えられた寝台には、若い女が静かに横たわっていた。
「―――これが、花喃さん?」
悟浄が声を落として尋ねると、八戒はそっと頷いた。
目を覚まさぬ恋人の傍らに膝をつき、彼女の冷たい手を包みながら、どこか遠い目をしている。
「花喃とは、もともと帝都の外にある静かな村で暮らしていたんです。僕は小さな子供たちに勉強を教えていました。―――本当に、何の変哲もない、けれど幸せな日々でした」
悟浄は黙ってその言葉に耳を傾ける。
八戒の声には、懐かしさと痛みが混ざっていた。
「僕と花喃が出会ったのは、旅の途中でした。どちらからともなく近づいて、気がついたら一緒に暮らしていた。ただ一緒にいるだけで、本当に幸せだったんです。それなのに―――」
言葉が途切れる。
八戒は握った手をきつく掴んでいた。
「ある日、村に帝都の貴族からの命が下ったんです。魔力の徴収でした。貴族が直々に来て―――抵抗できるはずもなかった。その時、花喃は妊娠していたんです。赤ん坊に魔力を分けている分、身体が弱っていた。なのに彼らは、それを知っていながら、無理やりに」
「―――」
「僕はその時子供たちに勉強を教えるために別の場所にいました。知らせを聞いて急いで帰ったのですが、止められなかった。全てが終わった時、花喃はもう生きているのも奇跡なくらいだったんです。赤子は助からないだろうことはわかっていました。それでも花喃は、最後の力を振り絞って、赤子をこの手に産んでくれたんです」
静かに語られる言葉に、悟浄は胸が詰まるのを感じていた。
八戒の声がかすかに震えている。
「今でも覚えています。泣くことのない小さな赤ちゃんの小さな手。産まれてすぐは少し温かかったんですよ。そしてそれっきり、赤子も花喃も目を覚まさなくなってしまった。体はなんとか生きていても、魂は―――あの時、壊れてしまったのかもしれない」
雨音が窓を打つ音が、どこか遠くで泣いているように思えた。
「僕は、今でも思うんです。もしあのとき、もう少し早く帰れていたらって。こんな国がなければ、あんな制度がなければって」
八戒の肩にそっと手を置いた悟浄の手は、熱かった。
「だから、三蔵に協力してるのか」
八戒は目を伏せたまま、小さくうなずいた。
「ええ。魔力の徴収に来た貴族は三蔵に反発している人たちでした。でもそんなこと僕には知ったこっちゃなくて。あの時は随分迷惑をかけてしまったなぁ。花喃が死産をした後目を覚まさないことを知って、三蔵は、もしかしたら助けられる可能性があるかもしれないと言いました。それから、僕は三蔵の傍で働くようになったんです」
そして、八戒は恋人の手を握っていた手を離して悟浄の方をしっかりと見据え―――、
「こんな理不尽を、もう繰り返させたくないんです。こんな断りにくい状況を作っておいてズルいことをしているのは承知の上で、改めて言います。悟浄、僕たちのために力を貸してください」
深く、深く悟浄に頭を下げた。
悟浄はぐっと手を握りしめ、八戒と静かに眠る花喃を見つめる。
もし、魔法塔から魔力を抜き出し、安全に帝国民へ配ることができたなら。悟浄が思うより多くの人を救えるのかもしれない。
「顔、上げてくれよ八戒。俺はさ、そんな大層な人間じゃないし、絶対にこの計画を成功させられるとも言えねぇけどさ。俺にも出来ることがあるんなら、やれるだけやってみるよ。それに」
「―――?」
「イイ女には、笑顔でいて欲しいじゃん?」
「……花喃は、あげませんよ?」
「バーカ、お前と感動の再会をさせてあげられたら、きっと笑ってくれるだろ?」
「ッフ、フフ、あははは! そうですね。きっと、そうですよね」
八戒の目には光るものが見えたが、笑い涙だろうと悟浄は見なかったことにした。
そして、この時八戒は絶対に悟浄を支えていこうと決意を新たにする。
(僕は、花喃が起きたとしても、どうして赤子を救えなかったのかと罵られ、悲しませるだけではないかと思っていました。ずっと、心のどこかで花喃を起こすことを迷っていたんです。だけど今、悟浄の言葉に救われちゃいました)
地面を濡らす雨は、いつの間にか上がっていた。
窓から差し込む眩しい光に、八戒と悟浄は目を細める。
ベッドに横たわる花喃の表情も、どこか柔らかくなったような、そんな風に見えたのだった。