単話など
Ginger Lily
裏ばっかり更新してたので、ここらで心を落ち着けます。
BAD END気味なのでご注意ください。
あれは、とても暑い夏の日だった。
ゲリラ豪雨が頻発し、湿度も高くて外に出たくないと誰もが思っていた。
そんな中、三蔵は引越しをしなければならない事に悪態をついていた。
勤めている会社で転勤の辞令。
何もこんな真夏に異動させるなと思ったが、三蔵がじろりと上司を睨んだところで会社が怯むことない。渋々、断ることの出来ない辞令を引き受けたのだった。
「くそあちぃ……」
大した荷物もなかったし、家具家電は最低限ついていると言われたので単身引越しを行った。
引越し業者と言えど、赤の他人にズカズカと家の中に踏み入って欲しくなくて、元々そんなに無い家財等をさらに断捨離してレンタカーに詰め込んだ。
引っ越した先は3階の305号室。ひとつのフロアに6部屋あり、隣の306号室は空き部屋だと聞いている。
そうして幾度も舌打ちをしながら引越しを終えた三蔵は、305号室から新たなる職場へと通うようになった。
代わり映えのしない、相変わらずうだるような暑さの続く日。
よく冷えたビールと煙草を持ってベランダへ出た。
冷房の効いた部屋で飲みたいところだが、屋内禁煙だと言われたのだ。仕方なく、いちいちベランダに出て煙草を吸う羽目になっている。
そんな時、隣との間の仕切りの隙間から何かがコロコロと転がってきた。
「……?」
それは、綺麗な赤いガラス玉だった。
つい、手に取ってしまう。
とても不思議な、透明だけど深みのあるルビーのような綺麗な赤色をしていた。
「あっ、すんません」
ガラス玉を見つめていると、仕切りの向こうからひょいと顔だけ出した青年が声をかけてきた。
「それ、落としちゃって。拾ってくれてありがとうございます」
「……」
「あの……? 返してもらえます?」
「あ、ああ」
隣は空き部屋だったはずだが、いつの間に引っ越してきたのだろう。
転がってきたガラス玉と同じ綺麗な赤い目と、流れるような赤い長髪の青年に三蔵はガラス玉を手渡した。
「よかった! お隣さんがいい人で。俺は悟浄って言います。よろしくお願いしますね」
「三蔵、だ」
「三蔵さん! これ、ほんとありがとうございました。またお話しましょうね。暑いですからお気をつけて」
そういうと、悟浄は仕切りの向こうに戻り、ベランダの窓をカラカラと開けて閉める音がした。
一体なんだったのか。
三蔵はしばらく狐に摘まれたような心持ちだったが、我に返って飲みかけのビールを口にする。
「……ぬるい」
すっかり夏の気温でぬるくなったビールを無理やり喉に流し込み、吸い終わった煙草を空き缶に押し込んで三蔵は部屋へと戻ったのだった。
それからというもの、三蔵がベランダで煙草を吸い始めると2回に一回は悟浄が顔を出すようになった。
三蔵とは違う煙草を吸い、長い髪を靡かせながら取り留めもない話をする。
三蔵はあまり喋る方ではなかったので、大抵悟浄の話に相槌を打つか一言二言返事をするだけだった。
「なぁ三蔵。このガラス玉、綺麗っしょ?」
「……ああ」
「俺の大事なもんなんだ」
そう言いながら、ガラス玉に夕日に透かして眺めている。
濃いオレンジの夕日に、赤色を濃くするガラス玉。そして、同じように煌めく赤い瞳。
三蔵は思わず、悟浄に声をかけていた。
「悟浄、一緒に飲まないか?」
「え? 今こうして一緒に……」
「そうじゃなくて、暑ぃし、うちで飲まないか」
「あ……」
「ダメなのか?」
「いや、うん。……ごめん。行きたいの山々なんだけど、ごめん」
そう小さく呟いた悟浄の瞳は悲しく、哀しく、苦しく、辛く、愛しく、切なく、嫉しく、悔しく、寂しく、懐かしく、いろんな感情に揺らめいて見えた。
その時、瞬きをした三蔵の瞼の裏側が眩しく光る。
仕切りの向こう側にいる悟浄の顔が、車のバックミラー越しに見る無邪気な笑顔と重なった。
「ごじょう……?」
「ごめんな、三蔵。またいつか」
「まて、お前はっ」
仕切りの向こうに消えた悟浄を追いかけ、初めて三蔵の方から悟浄の部屋へと身を乗り出す。
「悟浄っ!」
するとそこには、何もなかった。
カーテンも、煙草の匂いも、悟浄も。
まるで初めから何もなかったかのように。
「なっ、どうなってやがる」
そこで初めて三蔵は、隣の部屋に誰もいないことを理解した。
初めから、おかしいとは思っていたのだ。
引っ越ししてくる気配は全く感じなかった。だが、三蔵が仕事の間に済ませたのだろうと思っていた。
ポストにも扉の横にも、名前が出ていなかった。だが、最近は防犯のためにそんなもんだろうと思っていた。
郵便受けに手紙やチラシが入っているのを一度も見なかった。だが、三蔵が帰ってくる前に回収しているのだろうと思っていた。
悟浄が煙草以外のものを口にしているのを見たことがなかった。外は暑いのに大丈夫だろうか、と少し心配していた。
だがそのすべての違和感を、無意識のうちに考えないようにしていたのだった。
「クソッ」
そうして初めて、三蔵は悟浄についてもっと聞いておくべきだったと後悔をした。
それから、三蔵が煙草を吸うためにベランダに出ても、悟浄が現れることはなかった。
しばらく周りに心配されるほど仕事に没頭し、帰ってからは即ベッドに倒れこむ日々が続いた。
そして、ようやく大家に連絡をしてみる気力が湧いたのが、悟浄がいなくなってから半年経った頃だった。
「終わったら、鍵は戻してくださいね。室内はスリッパでお願いします」
ベランダの向こう側に落とし物をしてしまったと言って、306号室の鍵を借りた。
少し緊張しながら扉の鍵を開ける。扉を押し開けた瞬間、密閉された空気の中に沈んでいたすえた匂いが、這い出すように流れ出てきた。
やはり、誰かが住んでいたような形跡はなく、備え付けの家具や家電たちが静かに佇んでいる。
短い廊下を進み、リビングへ入ると目の端で何かがキラリと光った。
「これは……」
ローテーブルの上に、赤いガラス玉が置いてあった。
大き目のビー玉くらいの、綺麗な赤いガラス玉。
「悟浄?」
問いかけてみるが、三蔵の声は部屋の中に静かに吸い込まれ消えていく。
ガラス玉を握りしめ、ベランダの窓を開けた。
悟浄と過ごした夏は過ぎ、今ではコートが必要な程の冷たい空気が肌を撫でる。
夕暮れではなかったが、あの時悟浄がしていたようにガラス玉に透かして空を見てみた。
「あっ……」
すると、ガラス玉を通して脳の中にいろんな情景が一気に流れ込んできた。
あの日一瞬見えたバックミラー越しの悟浄や、何かと戦っているらしい激しく動く悟浄の背中。そして、白いシーツの上に美しく散らばる赤い髪。
思わず、ガラス玉を覗き込んでいた目を手の平で覆った。
三蔵の目からはとめどなく涙が溢れ、ベランダの手すりに落ちては蒸発していく。
「なぜ、こんな……。どうして言ってくれなかったんだ。悟浄……」
それはきっと、三蔵の前世の記憶。
そして、夏にここにいた悟浄は、真夏の暑さが見せた亡霊だ。
もう会えないことを理解した三蔵は、ガラス玉を握りしめて俯いた。
すると、
「三蔵。ごめん」
ハッとして振り返ると、部屋の中央に悟浄が立っている。
だが、よく見ると足元は透けて見えていた。
「ごめん。どうしても会いたくなっちゃって」
困ったように笑う悟浄に、三蔵は思わず駆け寄って抱きしめようとした。
「触れたら、よかったんだけど」
悟浄を抱きしめようとした両手は空振り、三蔵は悟浄の向こう側へとすり抜けてしまう。
「なぜ、なぜ言わなかった!」
「言っても、困らせるだけだろ」
「それでも、俺は……!」
「いいんだよ。一目会いたかっただけだから」
悟浄は三蔵の方へ向き直り、三蔵の頬を優しく撫でる。だが、三蔵には見えているはずの手の感触が感じられなくて胸が締め付けられる。
「それ、あげるから。またいつか、会えるように」
「ンなこと言ってんじゃねぇ! お前は今どこにいるんだ!」
「んーと、別の世界? になんのかな? もう死んじゃったんだけどさ」
「死んだ……?」
「そ。もう、旅は終わったんだ。でも、三蔵を残してきちまったのが心残りで」
「なら、向こうの俺に会いに行けばよかっただろ」
「そうしたかったんだけど、さ。できなかった」
「なんで俺なんだ」
「ん?」
「なぜ、俺に会いに来た」
「俺の心が、弱かったから。どうしても、三蔵に会いたかったから」
悟浄は再び「ごめんな」と言って視線を落とした。
「俺も、てめぇに、悟浄に会いたかった」
「嘘だ。今思い出したくせに」
「嘘じゃねぇ。ずっと会いたかった」
「三蔵ってば、優しいんだから」
「悟浄。愛してる」
「……俺も、愛してるよ三蔵」
お互い触れ合えないとわかっていながら、唇と唇を重ね合わせた。
触れ合えたなら、どんなに良かっただろうと願いながら。
「いつか、今度は俺が会いに行く。必ずだ」
「なにそれ、できんの?」
「できるかどうかじゃねぇ。必ず行く」
「そっか……。じゃ、待ってるぜ」
「てめぇは派手だからな。すぐ見つかるだろ」
「ははっ、違いねぇや」
悟浄はようやく、幸せそうに笑うと三蔵の手に握られた赤いガラス玉に触れる。
「じゃあ、またな。三蔵」
「またな。悟浄」
消えるのが嫌で必死に目を開いていたが、我慢しきれず瞬きをした次の瞬間、悟浄の姿は見えなくなっていた。
ただ、握りしめたガラス玉だけはそこにあって、確かに悟浄はいたのだと証明してくれている。
「馬鹿野郎……」
三蔵はベランダを閉めて部屋を元通りにすると、赤いガラス玉を大切にポケット仕舞い、そっと306号室をあとにした。
Ginger Lily(ジンジャーリリー)の花言葉:
信頼/豊かな心/慕われる愛/無駄なこと
