夜の果てまで

最初の契約

相変わらず説明はありつつ、ようやく邂逅です。

 悟浄は地下牢で一晩考えた末、八戒の言う帝国の真実を知ることにした。

 翌日やってきた八戒に「真実を教えてくれ」と言ったことで、八戒の強い希望で悟浄の鎖は外され、地下牢から出ることとなった。

 悟浄の方が「外しちゃダメだろ!」とゴネたことで、見張りの衛兵には拘束されたがる囚人と自由にしたがる看守。という構図の謎のやり取りをしばらく聞かせ、大変困らせてしまった。

 結局、ジープが悟浄に常にくっついておくということで話がまとまった。

 ジープは八戒と契約を結ぶ魔法生物らしく、離れていてもお互いの位置くらいはわかるとのこと。

 魔法生物の存在自体珍しく、その生態について悟浄は何も知らなかったが、どうやらそれで衛兵たちには許されるようであった。

「ご主人サマから離れさせてごめんな。ちょっとの間、よろしく頼むぜ」

「キュウ!」

 ジープは悟浄の肩に乗り、長い首を悟浄の首に後ろからぐるっと巻き付け目を閉じてしまった。

「やっぱり、貴方は悪い人ではないようですね」

 ジープの様子を見て、八戒はニコニコと笑っていた。

 そして、地下牢を出て聖光宮の長い廊下をどんどん奥へ進んでいく。

「今から話すことは、王宮の中でも一部の人間しか知らないんです。ですので、ちょっと特別室にご案内しますね」

 特別室と聞いて悟浄はドキドキしてしまったが、ついたのは聖光宮の上階の角部屋だった。

 北側に位置しているらしく、辺りは薄暗い。

「ジープ、すみませんが見張りをお願いしますね」

 部屋の前には専用に置かれているとしか思えない、高めの台とクッションがあった。

 八戒の言葉を聞いて悟浄の肩から台の上へ羽ばたいたジープは、クッションの上で丸くなり再び目を閉じた。

「これで見張りになんの?」

「もちろんです。ジープはとても働き者ですよ」

 悟浄が怪訝な顔で見ていると、片目を開けたジープが少しだけ首を持ち上げ、悟浄に向かって小さな火を吐いた。

「あっつ! こ、コイツ……!」

 長い髪の先の方を軽く焦がされた。

 ていうか、火を吐くなんて聞いていない。

「今のは悟浄が悪いです。でも、これでわかったでしょう?」

「……悪かったよ。俺よりよっぽど役に立つんだな、お前」

 よほど羨ましそうな顔をしていたのかもしれない。

 ジープは悟浄を慰めるように指先を軽く舐めると、再びクッションの上で丸くなった。

「さぁ、こちらへどうぞ」

 八戒に声を掛けられ、悟浄は肩をすくめて中へ入った。

 すると、そこにはあの時悟浄を止めた少年と皇帝その人が座って待っていた。

「な、なんで!? 明日まで戻らないって話じゃあ……」

 地下牢から出る時、八戒は確かに「三蔵たちは明日戻るので、明後日に面会です」と言っていた。

 それがなぜ、ここに。

「明後日の面会は本当ですよ。そっちは公式的なやつです。こっちは非公式のってやつですかね」

「そんならそうと言ってくれりゃあ……」

 不満を言いかけると、皇帝がこちらを見据え口を開いた。

「残念ながら、今は王宮内にも敵がいるかもしれんのでな」

 苦々しく告げられたその言葉に、彼らの苦労を垣間見たような気がした。

「騙すつもりはなかったんですけど、念には念を入れさせてもらいました。ちなみに、この部屋は僕が何重にも防護結界を張っています。もちろん、防音仕様なので何を話しても僕たちしか聞いていませんよ」

 八戒はジープと契約しているだけではなく、結界魔法も使えるらしい。

 他にも色々できそうな底知れない何かを感じるが、まだ気軽に聞けるような関係では無いと思う。

 すると、皇帝の横でソワソワとしていた少年が我慢できずという風に悟浄の傍に飛んできた。

 文字通り、それなりの距離をひとっ飛びしてきた。

「なぁなぁ! 俺、悟空って言うの! 俺も話していいよな三蔵!?」

「うるせぇぞ猿。後で紹介してやるから下がれ」

「悟空はこちらで僕とお茶でもしていましょうね~」

「やったー! じゃあ兄ちゃん! また後で話そうな!」

 八戒と悟空は少し離れたところにある小型キッチンの横で、テーブルに座っておやつタイムを始めた。

 テーブルの上に山と盛られた肉まんと月餅には、悟浄も若干引いた。

 そういえば、こんな王宮の隅の部屋に何故小型のキッチンがあるのだろうと不思議に思って部屋の中を見渡していると、別の部屋へと続く扉がいくつかある。もしかしたら、トイレや風呂があるのかもしれないと思った。

 目線を忙しくさせていると、皇帝に声をかけられた。

「ここは、いざというときの隠し部屋みてぇなもんだ。何日か過ごすこともできるようになっている。王宮の人間もこんな端っこまではあまり近寄らねぇからな」

「へ、へぇ……」

 何のために、とは聞かなかった。

 王宮内にも敵がいるかもしれないと言っていたので、用途としてはなんとなく想像がつく。

「突っ立ってねぇでさっさと座れ。てめぇが今更何かするとは思っていない。俺も、お前に危害を加えるつもりはない」

「は、はい」

「その下手な敬語も辞めろ。言い慣れてねぇのが丸わかりだ。すぐボロがでるぞ」

 机に頬杖をついてニヤリと笑う皇帝。

「周りにアイツら以外がいなければになるが、俺のことは三蔵と呼べ」

「さんぞう、サマ?」

「サマも付けるな」

「三蔵」

「そうだ」

「わかりま……わ、わかった」

 二人がけのテーブルの向かいに座り、改めて間近で顔を見ると三蔵は恐ろしいほど整った顔をしていた。

 王冠がいらないのではと思うほどキラキラと輝いて見える金糸の髪に、宝石を思わせる紫水晶の瞳。

 これで女だったら、三蔵を奪い合う為の戦争が起こっていたに違いないと思った。

「さて、どこまで聞いている」

 三蔵は煙草に火をつけ、深く吸い込んでから話を切り出した。

 先程から皇帝らしくない振る舞いが目立ち、既に頭は混乱気味である。

「この国には、俺の知らない真実があるって」

「ほとんど聞いてねぇじゃねえか」

 三蔵が舌打ちをすると、悟空にお茶を勧めていた八戒が不満げに口を挟んできた。

「僕の怠慢みたいに言うのは辞めてくれません? あんな場所で話せるわけがないでしょう」

「ッチ。面倒くせぇな。いいか悟浄、今から言うことをこの部屋以外で話すことを禁じる。そして、聞くからには俺に協力しろ。否やは聞かねぇぞ」

「……自分を殺そうとしたヤツに協力しろなんて、よく言えるよな」

 そう答えると、三蔵は眉をひそめた。

「てめぇが殺そうとしたのは皇帝だ。俺自身に恨みがあったわけじゃねぇだろ」

「それは……そうかも、だけど」

 その皇帝が、アンタだろ? とは口には出せなかった。

 三蔵の言葉には、不思議な力があるような気がする。

 今までの俺なら穿った見方をしそうな言葉でも、三蔵の言葉は何故だかすとんと胸の中に落ちてくるのだ。

「俺はお前のような協力者を探すためにあそこにいた。そこに丁度よく飛び込んできたのがお前だ。俺たちとしても、お前を引き入れるのはメリットがあるってことだ。ここまではいいな?」

「納得は、できる」

「ではそのメリットはなにか? 俺たちがお前に求めることは何だ?」

「さっぱりわかんねぇ」

「皇帝殺害未遂の罪を帳消しにする代わりに、お前の体で実験をさせて欲しい」

「……え? 今なんて」

「悟浄、お前の体を差し出せ」

「は? え? ごめん、ちょっと言ってる意味がわかんなすぎて」

 三蔵が冗談を言っているとも思えない。が、冗談みたいなことを言っている。

 理解ができずに助けを求めて八戒たちの方を見ると、二人ともあきれて肩を竦めていた。

「三蔵、それじゃあ話をすっ飛ばしすぎですよ。自分が何を言ってるかわかってます?」

「なんか、王様みたいだぞ」

「悟空、今は間違いなく王様ですよ」

「あそっか。じゃあ良いのか」

「良いわけあるかぁ!」

 悟空の納得顔に思わず突っ込まずにはいられなかった。

 当の本人である三蔵は、責任は果たしたとばかりにこちらを見ながら煙草を味わっている。

 これ以上説明をするつもりはないらしい。

「全く……。結局僕が話すことになるんですから。悟浄、良かったらこちらで一緒にお茶をしながら話しましょう」

 三蔵の方をチラリと伺ったが、何も言わずに目線を逸らされたのでそれを了承と受け取る。

 席を立っても何も言ってこないのでホッとした。

「悟浄はなに食う? どっちが好き?」

「いや、今はいいや。あんがとな」

「えへへ、欲しくなったらいつでも言って!」

 いつの間にやら、悟空に懐かれたらしい。

 八戒から話を聞いたのだろうか。名前も自然と呼ばれていたが、嫌な感じはしなかった。

「では、順を追って説明しますね」

「よろしくお願いします」

 悟浄が雰囲気でぺこりと頭を下げる横で、悟空も背筋を伸ばして八戒の声に耳を傾けている。

 なんだか寺子屋のようで、少し笑えた。

「まず、この桃源帝国の成り立ちについでです」

 八戒が言うには、こうだった。

 驚くことに、元々魔力はこの帝国全土に満ちていたという。

 だが、その魔力から魔法が生み出されると、それは争いの火種となった。

 やがて、争いはより大きな力を求める戦争へと発展するのに時間はかからなかったと言う。

 そこで現れたのが初代皇帝である。

 人々の生活を支え、怪我を癒し、食べ物を得るためにほんの少し力を借りる。

 そんなふうに使えば素晴らしいものであるはずの魔法。

 それが戦争に使われることを憂いた初代皇帝は、その聡明な知識と当時の魔法文明の叡智を使い、魔力を集める塔を作り上げた。

 これが、現在の聖光宮から伸びる魔法塔である。

 つまり、魔法塔は帝国の象徴として作られたのでは無い。

 巨大な魔力吸収装置だったのだ。

 突然魔法を失った帝国民たちは、当然怒った。

 だが、初代皇帝は魔法塔に集まった魔力を使って要塞を築き、攻撃してくるものは尽く返り討ちにした。

 こうして帝国民は魔法を失い、魔力さえも失った。

 そして平和が訪れるかと思われたが、魔法塔と要塞に力を尽くした初代皇帝は、その後程なくして崩御されてしまったらしい。

 そうするとどうなるか。

 跡目争いが勃発し、生き残ったものが皇帝へと成り上がる。

 そして、皇帝は帝国の支配のために魔法塔を独占するようになるのだった。

 こうして歴代皇帝にだけ真実が語り継がれ、悪用され続けてしまったのである。

「ここまでで質問はありますか?」

「う〜〜〜ん。ヤバい、頭痛え」

 悟浄はもう何もかもが信じ難い事ばかりで、どこからつっこむべきかすらわからなかった。

 悟空はとっくにおやつを食べ尽くし、テーブルに突っ伏して寝息を立てている。

「お茶、入れ直しますね」

 八戒は悟空の背中に薄い毛布をかけ、悟浄と三蔵のお茶を入れ直してくれた。

 外にいるジープにも差し入れをして戻ってくると、頭を抱えている悟浄の顔を覗き込む。

「続けて、よさそうです?」

「良くはない、けど、良いデス」

「助かります。また何時でも聞いてくださいね」

 三蔵は相変わらず我関せずの態度であった。

 そして、ここから三蔵へと話が繋がっていく。

 先程の事実は代々皇帝には受け継がれるものであったが、皇帝以外には秘密にされていた。

 だが、前皇帝の時代になり、魔法塔を管理する仕事をしていた光明が真実に気づいてしまったのだと言う。

 そして、光明は口封じのため牛魔王の手下に殺されてしまった。

「この光明様が、三蔵の育ての親なんです」

「つーことは、三蔵は復讐のために牛魔王を暗殺したってこと?」

「まぁそれが大半の理由ではありますが、それだけではないですね」

「あ、そっか。それだと今更俺に協力して欲しいことなんかないよな」

「ええ、目的はもうひとつ。魔法塔を破壊することです」

「は、……え?! んな事して大丈夫なのかよ!」

「だからてめぇに協力しろっつってんだろうが」

 痺れを切らしたらしい三蔵が、いつの間にか三人の座るテーブルまで来ていた。

 どかりと空いている椅子に座ると、短くなった煙草を灰皿に押し付け、新たな煙草に火をつける。

「つまりですね、全ての元凶となった魔法塔を破壊したいのですが、破壊した後のことを考えるとバーンといくわけにはいかないんですよ。特に、魔力のない帝都の外で暮らす人々が、突然解放された魔力を浴びた場合の影響などが想像もつかなくて」

「それに、魔法塔はやたらと防御が硬くて容易に壊すのこともできなかった。中には入れるが、未だに傷一つ入れられてねぇんだよ」

 三蔵は忌々しげに煙草のフィルターを噛んでいる。

 そして、ここまで来てようやく最初の三蔵の話に繋がった。

「魔法塔を破壊した時の一般人役として、俺で人体実験させてくれってわけね」

「あの、その役を、僕たちが出来ればよかったのですが……」

「コイツらは特殊でな。一般人役にはなれん」

「そういうことかよ」

「だが、お前にもメリットがないわけでもない」

「はぁ? どこに俺のメリットがあるってんだよ」

 悟浄は少し怒っていた。

 短い時間ではあるが、少なからずこの三人に絆されていたらしい。

 もしかしたら気を許してもいいかもしれないと思ったところで、結局は体のいい実験台としか見られていなかったわけだ。

 死ぬ前に少しでもいい思いをさせてやろうとでも思っていたのだろうか?

 だとすれば呆れた。

 ――――自分に。

「悟浄? 僕たちは決して、貴方を傷付けたいわけではないんです。それだけは分かってください。こんなこと、虫がいいのは分かっているのですが……」

「で、メリットってなんだよ。聞くだけ聞いてやろうじゃねーの。どうせ断る権利はねぇけどな」

 八戒の申し訳なさそうな声を聞かなかったことにして、悟浄は語気を強めて三蔵に聞いた。

 そして、その答えは意外なもので、思わず目を見開いた。

「貧民たちの、待遇改善だ」

 確かに、それを悟浄が願わなかったといえば嘘になる。

 だが、自分一人が人体実験になるだけで何故待遇改善にまで繋がるというのか。

 それに、貧民の生まれる原因は三蔵たちにもあるではないか。

「悪いけど、それって俺と何の関係があんの? あんた達が魔力の搾取をやめて、帝都の資源を配ってやればいいじゃん」

「そう簡単にはいかねぇんだよ。さっきも言っただろうが。今は王宮内のどこに敵がいるかわかったもんじゃねぇ。そもそも俺は魔法塔と悟空がいるから、魔力を奪う必要はねぇだろ。王宮以外で信用出来るやつがいねぇのもずっと課題だった。だから、王宮のしがらみとは関係ないお前、悟浄の協力が必要なんだ」

「魔力の搾取は関係ないやつがやってるからあんた達は関係ねぇって?」

「そうだ」

「でも、今はそれを止めることもできないと」

「そうだ」

「止められないあんた達のケツを俺に拭かせようってか?」

「ちょっと協力しろと言ってるだけだ」

「俺がいれば、全部なんとかなるって保証は?」

「ない。が、やってみなきゃわからんだろ?」

「……っは、物は言いようだな」

 もし、俺がここで何かを成し遂げることで俺のような子供が減るというのならば。

 もし、俺がここで覚悟を決めることで、今度こそ帝国の何かが変わっていくというのならば。

「いいぜ、協力してやるよ。その代わり、失敗は許さねぇからな」

「それはお前次第だな」

「こンの、減らず口が……ッ」

「これは契約だ。俺はお前の死罪免除とここでの生活、帝国の貧民の待遇改善を約束する」

「俺が差し出せるのはこの身ひとつだ。それでいいんだよな」

「かまわん、契約成立だ」

 すると、三蔵と悟浄の周りがぼうっと光り、二人の胸のあたりから伸びた細い光の線がぶつかって消えた。

「んー、微精霊たちが見守ってるってさ」

 いつ起きたのか、眠そうに目を擦りながら悟空が言った。

 契約魔法か何かだろうか。

「それって、契約破棄するとペナルティとかあんの?」

「ん? んー。いや、たぶん大丈夫。でも、契約で繋がれてるから、約束と違うことをすると相手に伝わるみたい」

「どうやって?」

「わかんない!」

「あらそ……」

 なんだか雲を掴むようなよくわならない話であるが、胸のあたりが一瞬温かく感じたし、光が伸びたのはこの場の四人が見たはずだ。間違いということはないと思う。

「で、今度こそ俺の番だよな? な?」

「今日はもう勘弁してくれ~!」

 食べて寝て回復した悟空に飛びつかれ、悟浄の悲鳴が防音結界の張られた部屋の中に響き渡るのだった。